「デフォルトが『切る』というスタンスのアニメ視聴(想像)」

 つづき。

 デフォルトが「切る」というスタンスで取捨選択をした場合、見続けることにした作品は「選ばれた作品」であり、その人にとって「おもしろくあり続けなければならない」という位置づけになるのではないかと思います。

 そう考えると、最近よく見られる、「ちょっとつまらない話があるとやたら怒る」「ちょいと絵が崩れると相当残念がる」「話が超展開すると萎えてしまう」というアニメ感想にも納得がいく感じ。「選んだ作品は自分の思ったとおりに思った方向性のままおもしろくあり続けなければいけないのだ」という線から作品が外れてしまうと、それはもう自分が「選んだ作品」ではないということになり、興味の対象外というか自分の気持ちを裏切ったという感情が強まって、怒りや呆れの方向に進んでしまう…のではないかと思うワケです。

 対して何でも楽しむ多量見さん…というかオールドタイプとしては、デフォルトは「見る」なので、作品の変化に対して柔軟に楽しみ方も変化させて、ときにはその「ダメさ」すらも楽しむ要素にして見てしまうものでして、軽い下降や軽い迷走ぐらいでは、そんな強い感情は全く生まれないワケです。期待値(テンション)や作品に期待するものを微妙にコントロールして、現状の作品に合わせていき、決して見続けることと楽しむことを諦めない…。

 うーん、随分な温度差です。

 例によってどちらがいいかとか言うつもりは全くありませんが、視聴者が一分のブレも許容できないとなると、作品を作る側は相当大変になるんじゃないかと思ってしまいますな。ただただおもしろいモノを奉仕し続ける存在という扱いになってしまうということだから、より窮屈にね。

 これもまたアニメが多すぎることに起因する件だから、やはりアニメの本数を減らしていこうぜ!(またそれか) 本数問題ではなくアニメを商品にしすぎた弊害に思えなくもないけど。

 まぁでも、そんなに青筋立てて怒らんでもええやないのとは思うなぁ。一緒になって怒ったり貶したりしているワケではないから、怒ったり貶したりしてる文章を読むのはあまり楽しくなく。感情に嘘をつくことはないけど、怒りながらも笑いを入れるとか、そういう際でも気遣いや愛があってもいいんじゃないかなー、と。