「真面目に不真面目」

 と云われたことがありまして。

 つまり「不真面目」を「真面目」にやってると。言われてみれば確かにそういう部分はあるわけで、不真面目になっている部分と不真面目にしている部分とがあるわけです。

 アニメを見まくる、というのは一般的にあんまり他人に誇れる趣味ではないわけでして、アニメ制作サイドにもそういう意識は少なからずあるらしく、「アニメを卒業しよう」的メッセージの込められた作品も多数存在します。また「卒業しよう」とまでは行かなくても「アニメばかり見ないで他のこともきちんとしよう」的なメッセージはよくあります。

 それを「真面目」に受け取った場合、アニメを、この生活をやめなければなりません。しかし、やめたくないので、そのメッセージをすり抜ける「不真面目」な部分が必要になってきます。でも、ただ「不真面目」にアニメを見ていては面白いものも面白くないという相反する性質を持つため、「真面目」にアニメを見る必要もあります。

 真面目なだけではアニメを見続けられない、不真面目ではアニメを楽しめない。

 回避方法としては、メッセージを見ないことがありますね。そういったメッセージ性のほとんどないタク向けアニメのみ見たり、メッセージ性を無視して、とにかく萌えてみたり。つか不真面目そのものですが。

 次の手段としては、気持ちの上でそういったメッセージの上を行く、つまり自分の中に「アニメを見る哲学」を持つというのが考えられます。しかしそれでは「そのメッセージを受け取らない」ということになるので、作品を同一ラインで楽しむことができず、少し上から眺める構図になってしまいます。

 そこで、「真面目に不真面目」になるわけです。真面目にメッセージを受け取りつつ、「不真面目をやっている」という部分で、「不真面目そのもの」が受けるよりダメージを少なくし、かろうじてアニメを見続ける精神を保っているわけです。

 以上、自己分析。アニメをきちんと見るのも大変です。

 例によってわけわからん文章です。「不真面目」が2通りの意味で使われている、ってとこも原因の1つですけど。